『不安の立像』諸星大二郎 「不安の立像」所収 集英社

この作品は1973年に発表された作品です。今から30年以上も前のもので、舞台となっているのは中央線を思わせる都市の中を走る路線で、季節は夏。電車内にはまだクーラーなどなく、首振りの扇風機が備え付けられている。それゆえ通勤時の車内はとても暑苦しそうで、効き過ぎるくらい冷房の入った現在では想像もできない感じだ。そんな今よりもはるかにストレスのたまりそうな電車で日々会社に通勤するサラリーマンを主人公にしたこの漫画ではあるが、ここに描かれている怖さは現在でも色あせてしまうような類いのものではない。「不安の立像」というタイトルにあるとおり、読了後なにか言い知れぬ不安に襲われるのだが、しばし不安の立像とは何だったのかと思い巡らしその正体に気づいた時にその不安が恐怖に転化するという、いかにも諸星らしい奥の深い作品になっている。その〈不安の立像〉とは何なのであろう? 物語はこんな内容である。

主人公であるサラリーマンの男は、毎日の通勤ラッシュ時に社会の歯車の一つにすぎない自分や、周りの連中にいらだちながらも、平凡な日々をおくっている。そしてある時車内から、駅の近くの線路ぎわに立つ、黒い布をすっぽり被ったような人を見かける。その影法師は夕方になるといつも現れてはそこに立っているのだが、同僚にその事を尋ねると「ああ、あれか。そういえば大抵いるな」と気づいてはいるのだが、まったくの無関心な様子だった。疑問に思った男は途中の駅で降り、駅員に影法師について訊ねてみると「さあて… わたしがここに勤務する前からずっといるようですがねー。注意してみたことないから、よくわかりませんねえ。あれがなにか?」と答え、近くで工事をしている作業員に訊ねてみても「気がつかなかったな。そういえば何かいるな」「別に邪魔にならんからほっぽってあるがよ… なんであんなもんのこと聞くんだね?」と、皆一様に無関心なのだった。

男は影法師に近付いて声をかけてみる。すると影法師はささっと逃げるようにして物陰に隠れる。動きは確かに人間のようだが、そのびくびくとしたいじけた様子に驚く。そんな影法師の正体を探る男の行動に恋人も「どうかしてるわ」と言ってくる。「東京に得体のしれないものがいて、君は気にならないのか?」そう聞くと「いたっていいじゃない、何も悪いことをするじゃなし」と呆れるばかりだった。男は深夜まで待ち影法師を見張った。
以下ネタバレがあります。これから「不安の立像」を読もうと思っている人は読了後に読んでください。(四角の中のテキストを選択して反転させると読めます)

終電が無くなったころ影法師は歩き出したので、後を追ってみると、市街にある地下道に降りていき、壊れた壁のすき間の中へ入っていこうとした。男は影法師に逃げられまいと掛けている黒い布をつかむとスルリと布がはだけて、その本体はすき間の闇の中へと消えていった。彼は影法師に触れた時の感触と、その布の下に一瞬見えた異様なものに対して、言いようのないおぞましい感覚におそわれ恐怖するのだった。後日その地下道の壁のすき間を探ってみたが、工事の手違いか壊れたままで、中は行き止まりだった。相変わらず影法師は線路ぎわに立っているが、男は触れてはならぬものに関わった気がして、もう二度とその正体を探ろうという気は起きなかった。そんなある日男が車内からぼんやりと外を眺めていると、件の駅を通過する時に向かいの線路の飛び込み自殺を目撃してしまう。すると影法師が現場の近くにやって来て、何かを拾い口元へ運び、線路を舐めるような行動をしたのを見る。以下主人公のモノローグからの引用です。

「大部分の乗客はとびこみ自殺をした男に注意を奪われたが… わたしはその回送電車の窓ごしにはっきりと見た! そしてわたしは理解したのだ! 私のような人間がいる所ならどこにでも… おそらく東京中のあらゆる線路ぎわに彼ら 影はいて 誰かがそのレールの上で死ぬのをただじっと待ち続け… 飛び散ったわずかな肉の一片を喰らい 枕木に染みついた一滴の血をなめるために いじいじと ガツガツと その渇望がほんのわずかいやされる時をただひたすら待って 立ち続けるのだ… あの地下の道の奧… あの暗闇はどこへ続いていたのだろう 私はあの暗闇からさらに深い闇へと続く… 何か見えない通路があるような気がしてならなかった そしてあるいはその闇は… 私自身の意識の暗闇にどこかでつながっているのではないだろうか… …餓鬼…」

そう。〈不安の立像〉とは誰もが持つ意識の底にある暗闇なのだ、その暗闇とは他人の不幸に対して好奇の目を持ってしまうこと。自分に係わりのない事なら、不幸が起こる事に期待してしまう事なのだ。人は他人の不幸に対して同情し、心配したり、心を痛めたりするが、その反面でその不幸が自分でなかった事に安堵し、優越感をもち、刺激を得ようとする。そして皆そういった思い
が自分の心の底にある事に薄々気づいてはいる。しかしそれを認めてしまう事は怖い。だから作中に出てきた同僚も駅員も作業員も恋人も皆、見て見ぬふりをする。「注意してみた事がない」そう言って見過ごし「誰にも迷惑はかけていない」とい言ってほっぽておく。その「いじいじと ガツガツと」した意識は単調で刺激のない日常の繰り返しの中で沸き上ってしまうものだ。諸星はそんな人々の意識を痛烈にマンガにしてしまった。だからこれを読んだ時、自分の心を見透かされているような気がして、ぞっとした。
これが書かれた30年前よりも現在は日本中に都市化が広まり、単調で空疎な日常も全国的になった。もはやほとんどの人の心の奥底にこの影法師はいる。そして、影法師の正体を知ってしまった男はその後どうしたか? 彼はまた単調な日常に戻り、更にその日常に埋没する事によって、その意識から目を背けるようにするのだ。心の闇を知ってしまう恐怖よりも、社会からはみ出てしまう事の恐怖の方がより強いと感じてしまう現代人の極めてリアルな姿がここには描かれている。

不安の立像 (ジャンプスーパーコミックス)

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